趣味ってなんでしょう?
僕は、趣味は何かと尋ねられた時には、「車と音楽」と答えてきました。どちらも子供のころから好きだったからです。今、どっちもお金がかかる!って思ったでしょ?まぁその通りなんですけど・・・。どっちも同時進行でのめりこんでいるというより、車か音楽かどっちかを行ったり来たり・・・だったと思います。以前は自分の名前がついたオフロード走行のグループがありました。夜な夜な集まって仲間の車のサスペンションの組み換えをしたり、コースの攻略法を考えたり・・・。板バネの車だったのでバネをバラシて組み替えると、車高を上げたり、バネの硬さを変えたりできるんです。当時も園バスの運転してましたし、土日はお寺の仕事ありましたから、なかなか仲間たちと一緒にコースへ行くことはできませんでしたが、楽しかったですね・・・。自分である程度はメンテナンスしてしまいましたから、ディーラーの整備に対してもシビアになってしまって、作業のやり直しをお願いすることも良くあります。最後は自分でやります・・・ってことも。なかなかお店でも理解してもらえないんですよね・・・。メーカーとしても世間的にも、好きという想いは受け入れてもらえないように感じます。
お酒はほとんど飲みません。居酒屋さんへ誘われて行くことになっても車で行ってウーロン茶飲んでます。お酒好きには嫌がられるパターン・・・。お酒が趣味・・・というか、お好きな方はたくさんいらっしゃるでしょう。そんな方から、「お酒を飲まないなんて人生の半分損してる」って言われることがあります。そういわれると、「あぁそうですか・・・」と答えながら、「勝手に決めないでくれ!」と心の中では思っています。だって、何を好むか、何を好まないかはその人それぞれの感覚ですし、好きになれといわれても好きになれないものはなれません。誰が何を趣味にしようとも(人に迷惑をかけない範囲で・・・)誰からも文句を言われる筋合いはありませんし、強要されることでもないはずです。趣味の世界は同好の士同士でしか理解できないものなのでしょうね。もちろん、それを趣味としていなくても、好きという想いに寄り添ってくださる方はいらっしゃいますけれどね。いくら自分が好きであっても、他人もそれが好きであるとは限らない。だからその事を理解してくれる人としかお酒の場にはご一緒しません。お酒の席は嫌な思いばかりさせられてきたので・・・。愚痴みたいになっちゃいましたが、それだけ他人からは理解されないことではあります・・・。
「唯佛與佛 乃能究盡」という言葉があります。一応、仏教を学んだ者として、紹介します。「法華経」というお経の中にある一節ですが、「ただ仏と仏のみ極めつくすことが出来る」ようするに、(仏教の神髄は)仏と仏しか分かり合えない・・・という意味の言葉です。僕は大学の講義で(仏教系の大学でしたから)この話を初めて聞いた時に、仏と仏しか分からないのならば聞いても仕方がない、教えとして伝える意味がないのではないか?と思いました。しかし後になって、自分が仏になることが出来れば、その仏と仏でしか解らない言語で自由に意思の疎通が出来るということではないか?と思いました。そこに至るまでにはずいぶん時間がかかりましたけど。レベルは全く違いますが、ある意味、趣味もそうなのかもしれません。分からない人には解らないけれど、分かる人同士では心地良い。好きなもの同士でしか理解できない感覚ってありますよね。お釈迦様でも、「わからないやつには分からないよ」と思われるんだからから・・・。
先ほどのウィキペディアにあるように、循環器系の疾患のリスクが低いということもあるのだそうですし、なにより趣味に没頭している時間は楽しいですし、その楽しいという経験があることによって、日々の生活に潤いを与え、やる気を与え、疲れた心を癒してくれることは間違いないと思います。僕は趣味によって救われてきました。某jazzボーカリストさんからは、「仕事してないでしょ!」と言われるくらい(してますよ・・・)、音楽に精力を傾けることもあります。
所詮「遊び」なのかもしれません。他人から見れば遊んでる(仕事してない・さぼってる・・・)になるでしょう。園の子どもたちに必要なのは「遊び」という名の学びですが、還暦近いおじさんでは、遊びは学びではなく単なる無駄遣いに見えるでしょうねぇ・・・。
無駄遣いに見えるとは思いますが、僕にとっては大切な癒しです。車の趣味が色々とショックを受けっぱなしで絶望的になっていて、精神的にダメージを受けていることもあり(まぁ他から理解されない趣味ですからね・・・)、いま趣味として言えるのは音楽だけになってしまったのですが、音楽の趣味を言葉だけではなく、形に(音あそびを行ったり、園でライブを開催したり、ウクレレ広場を開催したり)することによって、単なる無駄遣いとしか思ってもらえなかった趣味も、共感を持っていただいたり、楽しかったと言っていただいたり、好きという共通の言語でお話が出来るようになったりしながら、得難い人間関係を作ることが出来たように思います。この1年でウクレレを40本くらい買った(自分のための数本を除いて半分はプレゼントし、半分は広場においでになる方にお貸しするために買いました)と聞いたら、きっと無駄遣いでおかしな奴・・・と思われると思います。でも、そのおかげでつながれた人たちがたくさん出来て、決して無駄ではないと思っています、他所から無駄遣いに見えても、おかしな奴にしか見えなくても。
趣味とは、理解されないもの。でもかけがえのないもの。